君の好きな人が僕じゃなくても

by激重甘々メンヘラオタク

"寂しい"を許してほしい

12月8日。
AKB48が14周年を迎えました。秋葉原の劇場では、例年通り記念公演が行われまして、峯岸みなみさんは最後の1期生としてステージに立ちました。
そして、ご存知の通りもう少しで終演、というときのMCの中で峯岸さんは卒業発表をされました。
実況ツイートを眺めながら今年も何事もなく終わるのだと思っていたときに目に飛び込んできた「峯岸みなみ卒業発表」の文字。

"一瞬意味がわからなかった"ほうが良かったです。幾度となく目にしてきたその文字を理解するのに時間はかかりません。
全く考えていなかったわけではないです。いつかはその時が来ること、もちろん分かっていました。十分すぎるほど分かっていました。
それでも、「近い将来訪れる未来」と「今目の前にある現実」は違います。その言葉の意味を理解しながらも、信じたくない自分がいました。
TLを追いかけると、彼女が語った言葉が流れてきます。



>>何よりも凄くAKBを好きでいる自分でいられる時に卒業したいなと思いました。

今こうしてステージに皆で立ってる時間が幸せで大好きな今がAKBを卒業するタイミングないんじゃないかなと自分で思って、こうして皆に見守ってもらえる場所を卒業発表の場所に選ばせてもらいました。

………


本当にAKBに甘えていた部分もありますし、たくさん素敵な景色を見せてもらったので、その分ここからは自分の力で頑張って努力して今まで見てきた景色を自分の力で一から見たり歩んだりしたいなと思っていますので、これからも、卒業してからも見守っていただけたら幸いです。そしてこれからもAKB48の応援をよろしくお願いします<<



脳内で余裕で再生できました。
信じる、信じないではなくて、現実として受け入れなければならないことを悟ります。

タイムラインに流れてくる峯岸おたくたちの反応も見ながら、少しずつ心を整理しました。

笑顔で発表できたこと
たくさんの後輩たちに見守られながら言えたこと
「AKBを好きでいる自分でいられるとき」に卒業できること

いろんな人がそれらを理由に安堵にも似た感情を綴っていました。
確かにそうです。
前田敦子さんはじめ同期の卒業時には駄々っ子になってギャン泣きしていたみぃちゃんが、ひとりで歩き出すことを決めたのです。
それに気がついたとき素直に"嬉しい"と思えました。
何より、大好きな峯岸さん自身が決めたことです。
悲観するなんてもってのほか。大きな決断をした勇気に大拍手をして、そしてそれから先の未来もずっとついていくよという思いを持たなくてはいけないと思いました。



思ったんです。そう思っていることは確かなんです。
しかし何故だか涙が出てきます。発表した日の夜は眠れませんでした。
自分の中で"寂しい"という感情が"嬉しい"を押しのけるほど大きくあることに気がつきます。
次の日もずっと頭を離れません。通勤中であれ、勤務中であれ、入浴中であれ、ふと気を緩めるとすぐに涙がこぼれそうになります。こぼれてしまいます。

"寂しい"の理由はきっと簡単です。
本人は発表する随分前に決断をします。そして準備をしたうえでタイミングを決め、発表します。
おたくに向けて発表する時にはすでに未来を見ています。まっすぐ前を向いて、晴れやかな表情で決心を教えてくれます。

ところが、おたくは発表のときに至って初めてその決心を知ります。いくら普段から覚悟していても、なんとなく勘づいていたとしても、卒業という言葉を受け止める準備が整っているとは言い切れないまま現実として目の前にやってきます。
動揺を抑えながら「あのメールはそういうことだったのか」「あのときにはすでに決めていたんだね」そうやって答え合わせをするわけですが、そうしている間に本人はどんどん先へ進んでいきます。緊張から解き放たれた晴れやかな表情で、前だけを見て進んでいきます。

これが"寂しい"と感じる所以だと思います。
仕方がないと言いますか、当然と言いますか、卒業するという事実が公になった時にはもうすでに本人は歩き出しているのに、おたくはしゃがみこんだりおろおろしたりしている訳です。

「おたくは答え合わせをするしかない生き物」と誰かが言っていましたが、それをまざまざと実感し、"寂しい"がやってくるのだと思います。
それをわかってておたくやってたんでしょと言われたらもう何も言えませんし、寂しい寂しいとゴネているのは見苦しいだけだというのもわかっています。
でも、寂しい気持ちを抑え込んで気づかないフリできるほど強いおたくじゃないんです。

悲しくはないし、後悔もありません。
でも、さっきも言いましたがどれだけ覚悟しているつもりでも想定している未来と目の前にある現実は違うんですよね。
これで終わりじゃないことは重々承知ですが、今は寂しいと言うことを許してほしいです。



寂しい寂しい、とここまで書いてきましたがそればっかりな訳でもないことを主張しておきます(一貫性のない文章)。
9日夜のshowroom配信で、画面の向こう側にいる人ひとりひとりを大切にしてくれる彼女の優しさに触れて、改めて心底好きだと感じました。こうやって楽しくて笑顔になれる時間を1つでも多く積み重ねていきたいな、前を向いてその日を迎えたいな、そう思うことができました。

峯岸さんを想うと、自分でも驚くくらい寂しくて堪らなくてどうしようもない気持ちになってしまいますが、その先の未来を信じて手を差し伸べてくれる瞬間を逃さずにいればどこへでも連れていってくれるように感じるのも峯岸さんだからです。

でも、寂しいという気持ちに蓋をするところまではやっぱりちょっとまだできないかなというのが正直なところです。
残された時間を大切にして、楽しい思い出をいっぱい作りつつ、ときどきめそめそしてしまうことは許してください。

上手くまとめられないまま書き綴りましたが、言語化することで自分の気持ちがだいぶ整理されて落ち着きました。
書き始めたときよりも寂しいという思いの体積は小さくなっている感じがします。
でも密度はそのぶん大きくなっているので、たぶんまたしばらくしたらめそめそした記事を書くとは思います。